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映像作家 寺本勇也 長編インタビュー後編「少年時代の感覚 忘れたくない」

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映像作家 寺本勇也 長編インタビュー前編「一瞬の判断が一生残る」



──寺本さんの人生に大きく影響を与えたアイテムってありますか?


<寺本勇也>

幼稚園の頃に買ってもらったこの本なんですけど、仮面ライダーのムック本で。


買ってもらったときは、もちろん文字は読めないけど写真が多くてよく見てました。

そんな写真メインのカラーページがある一方で、最後の方にスタッフのインタビューが書かれた白黒ページがあるんですよ。


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で、小学2年生くらいですかね、漢字が読めるようになった頃に、家にあったのをパラパラっと見たら、なんか最後の方に凄いページがあるぞって(笑)

そのスタッフのインタビューを読み、初めて夢の裏側というものを知り、衝撃を受けたんですよ。普通に子供として好きで見てた幻想の世界は、ちゃんと「人」が作ってたということ。大人たちが苦労して、かつ楽しみながら作っていたという事実。


そこから裏側=業界への興味っていうのが芽生えていった、っていう意味では人生の大きな転換点です。


そして、それをきっかけに映画本のコレクター人生が始まっていくんです。

というのも、出会いの運のおかげなんですけど、僕は同世代よりもディレクターに昇格するのが比較的早かったと思うんですね。

でもそのせいでアシスタントとして修行してた時期が短いんです。だからその辺を埋めるべく、世界中の映画監督のインタビューを読み漁って勉強してるつもりです。現場で味わうのとは別なんですけど、理論武装をしていかないと10年間アシスタントしてましたって人に勝てないと思うんです。

それで結果どうなったかはわからないです。なんかただオタクが加速してるだけな気もするんですけど(笑)


──じゃあ、本当に早い頃から作品の裏側に興味があったんですね。


<寺本勇也>

はい、この本のせいです。

平成ライダーシリーズって中学年ぐらいでも全然見れる内容だったじゃないですか。

だからみんな見てたんですけど、同級生たちは「新しい怪人が~」とかって話をしてるなか、僕は「来週はこの監督か」「カメラマンがこの人だとアングル違うな」とかって感じで見てました。嫌な子供ですね(笑)


それで後々、日本工学院っていう映像学校に通いながら、インターンとしてライダーの撮影現場に行けることになりました。東映の撮影所に仮眠室ってのがあって、そこに住み込みで参加するんですけど。その後いろんな現場を見てきて思うのは、特撮番組のスタッフたちが国内最強チームな気がします。


やっぱりまず55年って歴史の蓄積があり、作品をイメージしていただければわかると思うんですけども、アクションだったり圧倒的にカット数が多いじゃないですか。それを毎週オンエアがあるなか、ノンストップでこなしていくチームワークだったりスピード感っていうのは凄まじいものがありました。そのぶん過酷でしたけど、その後どの現場に行っても心が折れなかったのは、最初の洗礼があそこだったからかもしれないですね。



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寺本さんの自室。映画本やフィギュア等がびっしりと並んでいる。
寺本さんの自室。映画本やフィギュア等がびっしりと並んでいる。


──では、また別の質問で、この人に出会えていなかったら今の自分はなかったという人はいますか?


<寺本勇也>

たくさんいるんですけど、出会いの大きさで言うと、同じ会社で制作部をやってる根本 翔っていうのがいて。中学のクラスメイトだったんです。


楽しいことを考えるという仕事をする上で、少年時代の感覚っていうのを忘れたくないんですよね。

だから幼馴染といると、休み時間の延長線にいれるというか、頭が若いままでいれる気がするんです。もちろん仕事は真面目にやってるんですけどね。それとメンタル面の支えって意味でもすごく重要なのかなっていう気はしてます。


──マネージャーさんみたいな感じですね?


<寺本勇也>


そうですね。相方とかそんなイメージですかね。


< ここで同席してた根本さんに参加していただけました。>

左から、根本さん、寺本さん
左から、根本さん、寺本さん

──出会いのきっかけは覚えていますか?


<根本 翔>

まさかこんなとこで振られるとはって感じです。


<寺本勇也>

やっぱり彼も映画好きでしたよ。

TSUTAYAでバイトもしてて、家にもDVDがたくさんあった。

やっぱそこじゃないですかね。共通の趣味な気がします。


<根本 翔>

よくDVD貸し合いしましたね。


<寺本勇也>

たぶん返してないやつもある。


<根本 翔>

それは返せよ。


──中学生からずっと続いてるお付き合いだとか?


<寺本勇也>

はいもうずっと。

中学の時、iPod touchっていうのが発売したんですよ。それにiMovieっていう編集アプリが搭載されてたことで、進路が確立させました。こんな楽しいおもちゃはないぞっていう。


だから中学から一緒にiPod touchで映画撮影ごっことして、根本の主演作とかを地元で撮ったりしてました。その時も今も、規模感は桁違いですけど楽しさでいったら変わらないです。


──寺本さんがAOI Pro.さんに入れられた時は?


<寺本勇也>

あの時はちょっと別居期間みたいな。


<根本 翔>

もっと別の言葉あんだろ。


<寺本勇也>

でも連絡とってたんで、この会社へ移籍する時には真っ先に誘いました。


──最後に、根本さんになにか一言ありますか?


<寺本勇也>

ん〜(しばし熟考)


特にないですね。


<根本 翔>

ないのかよ。




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──最後に、今後の意気込みなどあれば教えてください。


<寺本勇也>

そもそも僕なんかのインタビューに需要あるんでしょうか、っていう感じだったんですけど。とりあえずまだまだ頑張っていくので、何年後か分からないですけど、いつかこの記事が若手時代のインタビューとして発掘されるようになったら素敵だなとは思うんです。

だからそうなるように頑張っていかなきゃいけないですね。


──ありがとうございました。





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寺本勇也


学生時代より特撮番組の現場で助監督として活動。

株式会社AoiProに入社し、数多くのCM作品に携わった後に独立。現在は映像制作会社である株式会社イントリニティに所属し、劇場作品や広告映像の監督として幅広く活動をしている。

国内最大の縦型映画のコンテストである「TikTok TOHO Film Festival」で監督作品が2年連続でファイナリストに選出された。



写真 アヅマコウジ


インタビュアー・編集

ko shinonome (7777777 director)



 
 
 

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